2006年5月14日一般人、てっちゃん、2ちゃんねらーそして超神田寿司の関係者の方々に惜しまれつつ閉館した交通博物館、今週のこち亀でなんと交通博物館の事が取り上げられて閉館直前に両さん達が訪れたと言う設定です、今日はジャンプ系ブログでは絶対に取り上げにくい今週のこち亀をジャンプ系+鉄道系ブログらしく紹介して行きます。
- 行列
両さん達が訪れたのは5月4日この日も実際に大行列は出来ていました、確かに両さんが言うように普段の交通博物館は大行列はありません、それは夏休みとか冬休みも含めてもありません、私は最終日でしたがこんなに行列が出来たのは初めて見ました。
両さん達が訪れた日はちょうど元出雲号に使われた24系寝台車が展示していました、ブルートレインがいた場所は本来は保線用の車両を留置している場所でここに営業用の車両が止まる事はありません、本当に貴重です。
- 神田川の壁
最近の秋葉原はアニメショップやメイド喫茶が多く進出しているのでアニメオタクの街のイメージがありますが実はてっちゃん兼アニメファンと言う方も多くてっちゃんだけが神田川を越えると言うのには無理があります。
- 女性のてっちゃん
纏が鉄ネタを披露した為にてっちゃんが反応しましたが、実際女性のてッちゃんはいる事はいるんだろうけどまったく見かけません、さよなら運転とか開業イベント見ても男性かいても子供のために来たと言うくらいしかいません。
- 纏の兄貴
鉄道に凝り出した…のは解るけど全然興味のない纏にC62の話をしてもね…纏がかわいそう、ちなみにC62は銀河鉄道999号に登場した機関車と言えば解るでしょう。
- シミュレーター
交通博物館には東海道線用211系と209系電車、そして山手線(現在は撤退済み)205系電車がありますがどうやら山手線205系電車を運転したようです205系電車は実写を使ってはいますがすれ違うのは京浜東北線と山手線は103系電車なので相当古い映像を使っています、だって103系の山手線は1988年に完全撤退しているからレモンちゃんとみかんちゃんは絶対に生まれていないから2人にとっては違った世界を味わったに違いない。
- 超神田寿司と交通博物館
これはこち亀の世界の話だが昭和10年頃から開始されたと思われる交通博物館の工事に超神田寿司の方々が訪れお寿司の差し入れをした話、いい話ですね余程交通博物館の開館が楽しみだったんでしょう、戦前の日本では今のように気軽に寿司が食べれたとは思えないので当時の館長や作業員も喜んだに違いない、その後も模型製作に関する協力でお世話になり代わりに館長や学芸員が超神田寿司に食べに行くこんな交流があったのかもしれない、何かフィクションにしておくのはもったいない話だ。
- 残念な話
秋本先生が自ら取材に行ったと言うこともありクオリティーの高い内容ですが残念な事が2つあります。
①中央快速線201系
行列を見て両さん驚いたシーンで中央快速線の201系電車が登場していますがなんとモハ200側にもシングルアームパンタが…電動車に全てパンタがあると言うのは京王電鉄ではあるが201系電車にはありません。
②万世橋駅の事
夏春都さんが万世橋駅について「関東大震災で消失してその後跡地に博物館を建てた」と言っていますがこの言い方だと「関東大震災を機に駅は廃止されその後交通博物館が出来た」ととられてしまいます、正確に言うと「関東大震災で消失したがその後2代目が建設されて再開、その後昭和11年に交通博物館が開館、そして昭和18年10月31日に万世橋駅は休止後廃止」となりました、万世橋駅の施設を一部利用して交通博物館は開館したのです、なお交通博物館の開館が昭和11年、旧万世橋駅の休止は昭和18年つまり開館後7年間は交通博物館も万世橋駅も現役だった時代があったと言うことです。
- 両さんの提案
超神田寿司に鉄道模型を走らせようと言う計画は夏春都さんによって却下されましたが銀座に鉄道模型を走らせているお店は実際にあります、何度かマスコミが取材に来ているしちょっと両さん考えるのが遅かったね。
- おまけ
こち亀には触れていませんが実は東京地下鉄銀座線にも万世橋駅はあったのです…と言ってもこちらは仮駅で神田駅が完成後に廃止されました、場所は万世橋付近にある石丸電気の所で銀座線車内では旧駅付近の所だけシールド工法で作ったような丸型のトンネルになっているのでよく見ると解ります。