銚子電鉄サポーターズの代表が読売新聞に登場そして・・・(修正版)

本日の読売新聞朝刊の千葉版に銚子電鉄サポーターズの代表が登場していました、内容は銚子電鉄サポータズの代表の簡単な経歴と発足式での発言が主ですがその中で代表が四国に行った時の内容が触れられていました、代表は「毎年、四国のお遍路の際には伊予鉄道を訪れて、車両が銚子で頑張って走っている事を報告してくるんです」デハ801形の状況を報告しているんですか伊予鉄は。

デハ801形は元の名をモハ100形106と呼んでいた1950年に愛媛県松山市にある伊予鉄道に登場した時は実はクハ車(先頭車でモーター無し車)だった、1961年にモハ車となり100形106に改番をして84年まで伊予鉄道で頑張って来た、しかし老朽化のために1984京王帝都電鉄(現在の京王電鉄)から2100系と置き換えられて廃車、しかし100形106だけが生き残り1987年に四国愛媛から宇高連絡船?で本州を渡りはるばる銚子の地に旅立ちました。

譲渡が決まった背景には両運転台だったのが幸いにして銚子に移動する事が出来ました、銚子電鉄入線の際に塗装も当時の銚子電鉄カラーに塗り替えて営業を開始しました、後にワンマン化の為にワンマン改造をされて現在に至ります。

銚子市民の代表が伊予鉄に来るたびに報告していると言う事は伊予鉄も気にしていたんですね、そう言えば伊予鉄の利用者と思われる方が犬吠駅のノートに書いていましたね、この方もデハ801形に乗って昔の事を思い出していたかもしれません、今日もデハ801形は銚子の地を走っています。

  • おまけ

伊予鉄道公式ホームページにはなんとデハ801形の伊予鉄道時代の写真があります、詳しくは伊予鉄道の公式HPトップページ→電車・バス総合案内→伊予鉄道博物館→車両→郊外電車→郊外電車の歴史の順にクイックして見てください。
http://www.iyotetsu.co.jp/index.html